政治情勢が緊迫してますね。
安保関連法案:国会前で数万人抗議 若者の姿…各地に波及
毎日新聞 2015年07月15日 23時59分(最終更新 07月16日 01時24分)
「残念ながら、国民の理解はない」。安全保障関連法案は15日、安倍晋三首相が自らそう認めた直後に強行採決された。そんな政治に怒り、不信感を募らせて国会を取り巻いた数万人の市民たちの中に、政治活動とは無縁そうな若者たちが目立つ。「闘いはこれからだ」。彼らの呼びかけは同世代を動かし、各地に波及している。
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若者たちが組織したグループの名は「自由と民主主義のための学生緊急行動」。通称「SEALDs(シールズ)」だ。
多数の学生が大学の枠を超え、ツイッターやフェイスブックを介し、「安保法制反対」という一点でゆるやかにつながっている。呼びかけがどのように広がり、何人が共感しているのか誰も正確に知らない。それでも、集まる若者は数千人規模に膨らんでいる。今年5月3日の憲法記念日に生まれた。
中心メンバー約10人の多くは、明治学院や立教、上智などミッション系の私大学生。集まって話し合うこともあるが、集まれなくても無料通信アプリ「LINE(ライン)」などで手際よく物事を決めていく。
その一人、横浜市の明治学院大4年、林田光弘さん(23)は国会前で抗議の声を上げ続けてきた。「福島の原発事故がきっかけで、政府を疑わざるを得ないということに僕らの世代は気づいた」
長崎市出身の被爆3世だ。70年前の8月、父方の祖父・武男さん(2010年に死去)が、勤労動員で原爆投下から間もない市の中心部に入り被爆した。祖父は口数の少ない性格だったが、孫の林田さんがせがむと、遺体の片付けにあたったことなどを話してくれることもあった。
長崎市内の小中高校で平和学習を重ね、高校3年時には「高校生平和大使」として、国連の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせて米ニューヨークを訪問。原爆で顔にケロイドが残り、後に語り部となった被爆者の生涯を紙芝居で上演し、核兵器の非人道性を訴えた。
もともと体が弱く、被爆3世として漠とした不安を抱え生きてきた分、平和学習に打ち込んだ。本格的に核軍縮の問題を学ぼうと、著名な教授のいる大学に11年春進学する。
上京すると、東日本大震災の直後でまちは混乱していた。「被ばく」や「放射線」という言葉が飛びかい、心がざわついた。「自分の中で、核兵器は悪だった。でも、原発については特に考えていなかったから」
翌12年夏、東京・永田町の官邸前に原発再稼働に反対する市民があふれた。「政府は被爆2世や3世の追跡調査に及び腰だった。福島でも同じことを繰り返すのではないか」。官邸前に足を運び「政府の言うことをうのみにしてはいけない」と考えるようになった。
今回の安保法制の底に「より強く、大きくなれば平和が保てる」という抑止力の発想があると感じる。「抑止力を求める軍拡競争で大量の核兵器が生まれた。被爆国の日本が今なぜ、昔の発想にとらわれているのか」
メンバーたちは各自の得意分野を生かし、ビラやネット上のサイトの制作なら誰、講演会や勉強会の司会なら誰、と役割分担している。林田さんは集会やイベントの企画に取り組んできた。「闘いはこれから。絶対認められません」
「シールズ」への共感は学生たちを中心に全国で広がり続け、関西各地でも抗議集会が開かれている。【岸達也】
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