YouTube を観ていて偶然発見したビデオです。私の母もレンガ場で働いていたと申していましたので興味津々で観ました。「昭和7年ごろの映像です。煉瓦工場の作業や野幌駅での煉化もちの立売の貴重な映像です」ということと「この映像の詳細がはっきりしないので詳しくはわからないのですが、野幌駅そばであること、この時代に江別で映像を残せる資産家であることを考えると久保兵太郎の創立した北海道炭鉱鉄道会社の野幌煉瓦工場ではないかと思われます。」と記されています。

 映像を観てみると、夕張鉄道(野幌駅が終着駅)への「新夕張・長沼方面」という看板が見えます。「昭和5年11月3日、生産された石炭を直接夕張から小樽港へ向けて積み出すために、栗山・野幌間23キロメートルが開通し、路線距離が従来の国鉄(当時)経由よりも大幅に短縮されました。」ので昭和7年の映像にしっかり映っているわけです。今の野幌駅は、ただの通過駅でしかありませんが、その当時は、上り線には、夕張鉄道への乗り換えホームでもあったし、機関車の方向を変える施設もあって、今よりも大規模だったことが覗えます。

 昭和7年というと前年に満州事変(1931年)が勃発していますから、いよいよ戦時体制(いわゆる15年戦争)へとまっしぐらの時代です。当然レンガも増産している時代でした。

野幌煉瓦工場のあったところに掲げられている「史跡 登窯」
P1000646-noborigama.JPG

地図「史跡 登窯」

野幌煉瓦工場「史跡 登窯」「Google マップ」の地図を表示中です。
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