いま読んでいます。アメリカ政治の言ってみればデタラメ性や、それに追随していく日本の保守政治のいい加減さが暴き出されています。政治を推進している人達が、如何にデタラメなことをしているかがわかります。つづく!

 湾岸戦争の時に、日本が130億ドルも出したが、人を出さなかった(兵士を出さなかった)ので世界中のどこからも尊敬されなかったということがまことしやかにいわれているが、とんでもない話であって、フセインのイラクをモンスターに育てたアメリカや欧州の兵器輸出国の責任を問う責任追及の枠組みを作って追及すべきであった。つまり「兵器輸出国責任原則」といった基本的な理念を立ち上げていくことが大事だということが論じられている、ということが注目される論点だ。

 9.11同時多発テロの起きた直後に「炭疽菌テロ」も起きていたが、その後どうなったか? あまりというかほとんど報じられていないが、クリントン政権時代、CIAとペンタゴンが並行的に新型の炭疽菌の開発や「模擬」生物兵器爆弾の製造が行われていたが、その全貌を知らされたクリントン政権はそれを一部中止した。しかし、ブッシュ政権は開発を加速させたということがニューヨーク・タイムス紙によって2001/09/04に報じられていた。9.11同時多発テロの前に報じられていたが、9.11テロによってかき消された形になっが、2001/10月から11月にかけて炭疽菌テロが起き、結果5人が犠牲になった。当初、チェイニー副大統領やブッシュ政権の閣僚たちは、この事件をアルカイダやイラクのフセインと結びつける発言を繰り返したが、やがて検出された遺伝子がメリーランド州の「米陸軍感染医学研究所」が保管してきたエームズ株と呼ばれる炭疽菌の遺伝子と一致することが明らかになった。その後は、貝のようにブッシュ政権は口を閉ざしてしまったというわけだ。これからもわかるように、いかに米政権というのはデタラメな発言を繰り返しているか、恐るべき研究をしているか、ということの一端がかいま見えてくる。

 「テロとの戦い」を進めるというのなら、何故この炭疽菌テロについても全貌を明らかにしないのか、政治の表舞台から消し去ろうとするのか?!(☆炭疽菌事件で訴追予定の科学者が自殺
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31910060.JPG 「慰安婦」問題というのは、いろいろ論文を読んだり本も何冊か読んだことがありますが、この問題を償うために1995年に設けられた「アジア女性基金」(正式名称は「女性のためのアジア平和国民基金」)については、『戦争が遺したもの 鶴見俊輔に戦後世代が聞く』(小熊英二/著)の本で、上野千鶴子が鶴見俊輔に論争を挑んでいた文章を読んだだけで、実際にも「アジア女性基金」について全くと言っていいほど知らなかったし、本で読んだこともありませんでした。その「アジア女性基金」に携わって著者の反省と総括、そして「メディア・NGO・政府の功罪」を書いた、非常に興味深い本でした。かなり突っ込んで書いてあり説得力の強い文章だ、との印象を持ちました。この本で批判されている人達や団体・メディアの反論も読んでみたくなりました(出版されているかどうかわかりませんが)。政治やイデオロギーと戦いながら、実際の運動体を担っていく上での困難さ等が詳しく書かれていて、今後十分な検討が各方面からなされねばならないでしょう。「アジア女性基金」の四つの柱は、

  1. 元「慰安婦」への国民的な償いのための基金の設置
  2. 彼女たちの医療福祉支援への政府からの資金拠出
  3. 政府による反省とお詫びの表明
  4. 本問題を歴史の教訓とするための歴史資料の整備

 ここで検討されている論考は、多義にわたって私のような素人が論じるには荷は重すぎますが、随所にきらっと光る論考があります。たとえば「法的責任は道義的責任に優るのか」。NGO等が「法的責任」を求めるが、それが本当に被害者にとっていいのか、最適な選択なのか、と著者は論を進めます。すごい説得力のある論考だと感じました。

本の内容

 一九九〇年代以降「慰安婦」問題は、「歴史認識」の最大の争点となっている。政府は軍の関与を認め謝罪。市民と政府により被害者への償いを行う「アジア女性基金」がつくられた。だが、国家関与を否定する右派、国家賠償を要求する左派、メディアによる問題の政治化で償いは難航した。本書は、この問題に深く関わった当事者による「失敗」と「達成」の記録であり、その過程から考える新たな歴史構築の試みである。

目  次

第1章 「慰安婦」問題の衝撃
第2章 アジア女性基金とメディア、NGOの反応
第3章 被害者の視点、被害者の利益
第4章 アジア女性基金と日本政府の問題性
第5章 償いとは何か―「失敗」を糧として
終章 二一世紀の日本社会のあり方

31924049.JPG いま読んでいる本です。『清冽の炎』神水理一郞/著 花伝社 第3巻 「疾駆の秋」

 1968年、東大闘争のあった年。まだ半分くらいしか読んでません。民主派とか解放派とか出てきますが、これは、左翼各派を表しているようです。たとえば、民主派というのは、民青。もちろん、反代々木派も出てきます。その当時の学生が何を考え、行動していたかがわかります。今とはかなり違う時代だったことが、たとえば、職業的革命家という言葉が出てくるところにも現れています。その当時を経験した人も、しなかった人も、その当時のものの考え方、青春時代の不安や希望などを考えるのにいい材料かもしれません。ただ、注意しなければならないのは、主人公も書き手も、民青の立場から書いているということです。民青の闘争への関わりであり、民青の青春でもあるわけです。その当時、反代々木であった人が読んだら、これまた違った闘争観で戦っていた、というかもしれません。ノンポリもしかり。

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