『小泉政権 「パトスの首相」は何を変えたのか』内山融(うちやま・ゆう)/著 中公新書
小泉政権に対する評価は、人それぞれで、学者と素人(私のような)の間でも評価は分かれます。また分かれて当然だと思います。ただし、当然政治学者の意見にも耳を傾けてみる価値はありそうです。この著者は、ある面で小泉政権を評価しているわけです。私と言えば、戦後史上最悪の「ワンフレーズ」説明の首相、近隣諸国の国民感情を考慮しないで靖国神社に参拝して(公約とは言え)ことさら韓国・中国を挑発した首相、アメリカに対しては追随することしか考えていない首相、若者たちや都市新中間層をまんまとだました首相(「受け」を狙う政治手法! 「善玉」vs「悪玉」、自分 vs 抵抗勢力)、というような印象を与え続けた人だと考えています。そして、彼個人の生活では変態趣味のある人物として記憶している。
政治学者の評価を読んで気づくのは、評価する場合の切り口が多様で、言ってみれば素人(政治学の訓練を受けていない素人)には考えつかない点も多く、学ぶべき点がある。
著者の小泉・自民党が無党派層の支持を得た要因としてあげている点は、
- 第一に、小泉首相が郵政民営化を単一の争点として巧妙に設定したことである。
- 第二に、小泉は典型的なポピュリスト的選挙戦術をとった「悪玉」対「善玉」の二元論的対立構図を印象づけた。
- 第三に、有権者が党首イメージと政権の業績評価に基づいて投票した。
と、分析している。
これを読んだのは、ちょうど1ヶ月前で「YOSAKOIソーラン祭り」の真っ盛りの時でした。それで、祭りの興奮のだだなかで記憶が飛んでいます!! 追々感想を追加していこうと思っています。
『ユナボマー爆弾魔の狂気 FBI史上最長十八年間、全米を恐怖に陥れた男』「タイム」誌編集記者/著 田村明子/訳 ベストセラーズ
昔から気になっていたが、ユナボマー関連の本をちゃんと読むのは初めてです。むかし本屋さんで立ち読みしたのがきっかけでずっと気になっていました。その時は、本の価格が高かったものですから、買うのをあきらめました。18年間も孤独な生活をしながら爆弾を送り続け、3人を死亡させ多くのけが人を出したユナボマー。彼はどんな人物だったのか? キーワードは、孤独、高学歴、爆弾魔、反文明。ユナボマーは、1996.4.3 逮捕されたが、その当時のインターネットには、「ユナボマーを英雄視するメッセージであふれかえる」たそうです。私は、英雄視はしないけれども、やはり興味があった。彼には、興味をそそるものがあるのだろう。それは何なんだろう? いまだによくわからない。
ポーランドから移民してきた2世の両親から生まれたテッド(ユナボマー)だったが、両親とも教養が高く、教育熱心で子ども達に自然とのふれあいをも大事にした教育をしていた。自然の生活でのサバイバル術も身に付けさせていた。テッドもその下の弟(デビッド)も、人も羨むような一流大学を出ていた。テッドは、ハーバード大学、弟のデビッドは、ニューヨークのコロンビア大学を出ている。ユナボマーは、大学院も出て数学の助教授までつとめた(カリフォルニア大学バークレー)。それが何故爆弾魔になっていったのか? この辺が本を読んでもよくわからないとこです。1968年頃の大学紛争やベトナム反戦闘争も影響しているだろうし、産業革命の急激な「発展」も影響し、エコロジー思想も影響しているようなことは書かれています。だが、爆弾魔になるには何か飛躍がある。
カリフォルニア大学バークレーの助教授職を辞めいろいろな職に就くのだがうまくいかない。小さい時から秀才だったユナボマーの唯一の弱点は、幼い時から人付き合いが苦手だった。しかも数学専攻という純粋な基礎学問を長年積み重ねてきたものにとって、世間になじむにはあまりにも無防備だったように、私は思う。実学、例えば経営学とか金融工学あたりを専攻していれば、もっと違う人生を歩むこともできたかもしれません。
ユナボマーは、モンタナの田舎に掘っ立て小屋を建て、孤独な隠遁生活を始めるのだ。しかもおもしろいことに、兄に影響された弟(デビッド)までが、テキサスの乾いた大地に穴を掘って住んでしまうのだ。しかし、弟の方は、ある時期から普通の生活にもどっている。それは、心の支えとなっていた女性の存在が大きかったようだ。後にこの女性と結婚もしている。そして、もっと驚くのは、ユナボマーが自分の兄ではないかと、思うようになっていき、最後はFBIとの接触をしていくのだ。
高い教養と自然生活でのサバイバル術。しかも、人付き合いが極端に苦手。時には、これらがとんでもない方向に自分を導いてしまう。ユナボマー事件は、それを示している。
本の内容
近年の犯罪史上で最大のお尋ね者と呼ばれたユナボマー。彼は十八年間ものあいだ政府機関から巧みに逃れ、対FBIと最長の捕りもの劇を操り広げた。一九九六年の四月三日、FBIの捜査官たちは、モンタナ州にあるベニヤ板の小屋を取り囲んだ。そして世間は初めて、ユナボマーと呼ばれた犯人の容疑者、テオドア・カジンスキーの素顔を見ることになった。本書は、『タイム』誌のジャーナリスト・チームが、彼の悲惨な過去、狩る者と狩られる者のゲーム、そしてFBIがどのようにして彼を逮捕することになったかの経過を綴り、犯罪史上でもっとも狡猾な連続殺人犯と信じられている男の全貌を明らかにしたものである。
目 次
1 世捨て人の隠れ家
2 天才少年の屈折
3 仮採用の数学助教授
4 山男はいつも自由である
5 見えてきたパターン
6 隠遁生活が精神構造に与える影響
7 口を開いた爆弾魔
8 血と名誉
9 回答と疑問
支配者層は、この数年の内に憲法を改正(改悪)しようとしているが、それに対して国民は判断が問われる。その為には憲法に対して何らかの見識が必要です。それに対してどうするのか、つまりそれに対する備えが必要だと思うのですが、どうするか? 私の考えでは、少しずつ憲法に関して勉強を続けるしかないでしょう、ということです。
憲法というのは、いま調べてみたが103の条文しかないが、国の基本法であり、この方面の基本的な考え方が身に付いていないと一般国民からすると難しいものです。
『平和憲法』杉原泰雄/著 岩波新書 を読んでいて驚いたのは、ポツダム宣言が発せられ(1945/07/26)「ただ黙殺あるのみ」によって20日間も無駄にしてしまったことです。国体の護持(天皇主権を維持する)にこだわったばかりに、つまり戦争の終結のための絶対的条件としていたため、広島、長崎に原爆が落とされ、日本兵のシベリヤへの抑留もされ、中国残留孤児もうんでしまった、ということです。逆に言えば、早く受諾していれば、これらの問題を大きく回避できたかもしれなかったのです。日本の支配層は、国民の安全より国体の護持が大切だったのです!!
更に許せないのは、東久邇宮(ひがしくにのみや)内閣が、1945/08/28に「一億総ざんげ論」を発表したことです。戦争指導部の責任を回避するために狡猾にもこれを発表したことは、責任の所在をうやむやにするものでした。実に狡猾で汚いやり方だと思います。
この本は20年前に出た古い新書ですが、平和憲法や新旧・日米安保条約、1978年の日米防衛協力のための指針(ガイドライン)について書かれていて、基本的文献だと思います。それから、1980年代の中曽根内閣「総決算政治」について詳しく書かれていて、そういう意味でも基本文献だと思います。つねに、「解釈改憲の政治」と「明文改憲を求める政治」の二頭立ての馬車として支配層の政治が長い道のりを着実に歩んできたことがわかります。また、驚くことにその当時アメリカの議会では「日本の防衛力増強監視立法」(1985/08/22発効)というとんでもないものがつくられ、日本に防衛力増強を迫っていたことです。今から考えれば、ソ連は1989年に自滅的崩壊を向かえるのであって、軍拡競争に敗れつつあったにもかかわらず、デタラメなソ連の脅威を煽り続けて軍備の増強に狂奔していたことがわかります。これを狂気といわずして何というのでしょうか? これからもわかるように、日米の支配者達はデタラメの限りを尽くしていたことが、しかも今もしていることが、わかります。
「日本の防衛力増強監視立法」というのは、日本が1990年までに1000カイリのシーレーン防衛の能力を達成するように大統領に監視することと議会へ年1回報告することとを義務づけるもの。