支配者層は、この数年の内に憲法を改正(改悪)しようとしているが、それに対して国民は判断が問われる。その為には憲法に対して何らかの見識が必要です。それに対してどうするのか、つまりそれに対する備えが必要だと思うのですが、どうするか? 私の考えでは、少しずつ憲法に関して勉強を続けるしかないでしょう、ということです。

 憲法というのは、いま調べてみたが103の条文しかないが、国の基本法であり、この方面の基本的な考え方が身に付いていないと一般国民からすると難しいものです。

 『平和憲法』杉原泰雄/著 岩波新書 を読んでいて驚いたのは、ポツダム宣言が発せられ(1945/07/26)「ただ黙殺あるのみ」によって20日間も無駄にしてしまったことです。国体の護持(天皇主権を維持する)にこだわったばかりに、つまり戦争の終結のための絶対的条件としていたため、広島、長崎に原爆が落とされ、日本兵のシベリヤへの抑留もされ、中国残留孤児もうんでしまった、ということです。逆に言えば、早く受諾していれば、これらの問題を大きく回避できたかもしれなかったのです。日本の支配層は、国民の安全より国体の護持が大切だったのです!!

 更に許せないのは、東久邇宮(ひがしくにのみや)内閣が、1945/08/28に「一億総ざんげ論」を発表したことです。戦争指導部の責任を回避するために狡猾にもこれを発表したことは、責任の所在をうやむやにするものでした。実に狡猾で汚いやり方だと思います。

 この本は20年前に出た古い新書ですが、平和憲法や新旧・日米安保条約、1978年の日米防衛協力のための指針(ガイドライン)について書かれていて、基本的文献だと思います。それから、1980年代の中曽根内閣「総決算政治」について詳しく書かれていて、そういう意味でも基本文献だと思います。つねに、「解釈改憲の政治」と「明文改憲を求める政治」の二頭立ての馬車として支配層の政治が長い道のりを着実に歩んできたことがわかります。また、驚くことにその当時アメリカの議会では「日本の防衛力増強監視立法」(1985/08/22発効)というとんでもないものがつくられ、日本に防衛力増強を迫っていたことです。今から考えれば、ソ連は1989年に自滅的崩壊を向かえるのであって、軍拡競争に敗れつつあったにもかかわらず、デタラメなソ連の脅威を煽り続けて軍備の増強に狂奔していたことがわかります。これを狂気といわずして何というのでしょうか? これからもわかるように、日米の支配者達はデタラメの限りを尽くしていたことが、しかも今もしていることが、わかります。

「日本の防衛力増強監視立法」というのは、日本が1990年までに1000カイリのシーレーン防衛の能力を達成するように大統領に監視することと議会へ年1回報告することとを義務づけるもの。



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